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55 風景

外国暮らしをする知人と電話で話しながら、日本の風景でふと思い出すのはどこかという話になりました。電話の相手は何故か理由ははっきりしないのだけれど表参道と明治通りの交差点が浮かぶとのこと。
では私がもし同じような状況で浮かべる風景はと考えてみると、反射的に浮かんだのが生まれ育った青森市の風景。あまりにもありがちな故郷恋しやという反応で、気恥ずかしくもなりますが、「風景」という言葉から真っ先に連想される映像というとどうやら私にはそれ以外にあり得ないようです。

思い浮かべたその風景というのは合浦公園(がっぽこうえん)という青森市内にある大きな公園です。市街地にもさほど遠くない広い国道沿いに公園の入り口があり、子供だった当時は市営球場や競輪場が併設され、小さな池などがある松林を散策しながら小道を抜けると視界には海が広がります。松林を背に穏やかな湾を見ながら砂浜を歩く感覚はあまりに馴染み深く、体に染み込んだ感覚です。そして又公園の入り口にあった団子屋さんも同じ一枚の額にすっぽり収まります。

青森市というのは海も山も川も青々とした広い空も市街地の一点に立ちながら全て感じることのできる、今思うとなんとも贅沢な美しさをたたえた街です。意識して五感を働かせなくとも当たり前に日々呼吸するだけで海の匂いを感じ、山の風を感じます。

日本の風景イコールそんな青森市であるとばかりに、ふと浮かんだ故郷の海の景色ですが、じゃあ自分にとっていったいそこにどんな意味があるのかと、同時に疑問も浮かびます。浮かんだのは風景でも、実はもっと言葉にならない言葉のようなメッセージがあるのでは・・。単なるカレンダーの風景写真のようなものではなく、そのものの存在自体より、むしろ風景に埋没するかもしれない過去の個人的体験が自分の内側で何か大きくものを言ってのことなのかもしれず。その意味を探ってみることも決して時間の浪費ではないかもしれません。

その風景の中、私はどこにいるのか、誰といるのか、どんな気持ちを感じてるのかと、いったい何と出っくわすかわからず少々怖いことでもあるけれど、自分の記憶をたどって問い掛けを試みます。そんなことをするのはその日の気分によっては塗りつぶした絵の具がはがされ、見たくなかった絵が浮かんできそうな不快感もあり得るでしょう。
でも、その公園の穏やかな風景には、家族とのお花見があり、友人達とはしゃぐ自分があり、バレンタインデー後にめでたく実った初デートがあり・・・・・と、ささやかないくつかの楽しい時が感情の交差と共に思い出されます。結果、やはりそれなり幸せな自分がそこにいた、それゆえふと思い浮かべたのだと安堵します。

人には「思い出」として意識される出来事と、思い出すことさえもできないけれど体験として深く心の奥底に刻み込まれて意味を成するものがあるでしょう。それを発掘するのはとてもとても骨の折れる作業で、時に導き手も必要なものですが、たまにこんな風景と対話するのも何かストンと落ち着く居場所を見つけられたようで悪くはないものです。

過去の風景に込められたものが安らぎならば、最近見た思いも拠らず突然目の前に現れた風景はさていったいなんだったのでしょう。

もう1ヶ月ほど前でしょうか、忘れられない夢を見ました。都心の高層ビルの窓から外を見下ろしているのですが、そこに広がる風景というのが巨大な地震でも起きて崩れ落ちた東京の街。左手には何故か代々木体育館を見下ろし、しかも見てるうちに目の前でガラガラとその大きな建物が崩れ去るという、説明するとなんとも恐ろしいもの。
ところが夢見の気分は決して悪くはなく、むしろ何かが始まるような期待感すら覚えていました。
ただしこの風景、決して予知夢のそれではないことを祈るものです。

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2004年 3月1日


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