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54 大人のピアノ その2

「大人の時間」「大人の遊び」「大人の着こなし」というように使われる「大人」という言葉には例えば丁寧に入れられたコーヒーでも飲みながら自分にとって意味のある時間を楽しむ余裕を持った人だとか、少々の人間関係の軋轢などには動じない、長い経験を積み重ねた人に与えられる自立した心を持った人の姿のを思います。あの人は大人だねと言われる人はどこかしら包容力やゆとり、遊び心などを感じさせる人でしょう。

そう書いた瞬間、やれやれ私のピアノはやっぱりまだまだ大人の演奏などとは呼べないぞと、自問自答する間もなくあっとういうまに答えを見つけてしまったような気分になってしまうものです。が、まあそういうことはそのうちいつのまにか誰かがそう感じてくれるという類のことでしょうか。

音楽教室の看板として掲げられる「大人のピアノ」という意味からもう少し幅を広げて思いをめぐらしてみたくなりました。大人のピアノとはさてどんなピアノ?

その曲はもう少しあなたが大人になってからじゃないと弾けない・・と恩師から言われたのはショパンのノクターンOp.55-2変ホ長調です。言われたのは確かもう既に30歳も相当過ぎてからのこと。もう少し大人になってからと言われた時には心の中で異論反論が渦巻いていたような気がします。辛い思いも人並み以上に経験してきたつもりになっていた私には先生の言葉に少々反発を覚えていました。

あのノクターンが「大人」の精神性を持った人でなければ弾けないということはそれなりに理解は出来てるつもりでしたが、じゃあ、なんで私が弾けない?という気持ちがむくむくと起ったものです。先生が言わんとするところが純粋に音楽的な表現スキルの成熟をというよりは、それと同時にもう少し別の次元での話をされてるのだということは解ります。ですが、自分にはもうそういうものは既に備わってるはずだと、もう70歳を軽く越された先生に対してそう言いたくなる自分こそが今思うとやはりお子ちゃまというものです。

「大人」でなければ弾けないなどと言う考えが果たして音楽の演奏に対してあてはまるものかどうかというややこしい話は抜きにして、当時、先生の意味する人生経験や人としての成熟には程遠い自分であったことは今となっては素直に受けとめ、当時の自分を笑って思い出します。

あの曲が感じさせる心の微妙な揺れや声部の対話を、例えば男と女のそれと解釈し、さらに昇華させて表現することなど確かに多少の苦い恋の経験はあっても30歳そこそこの青二才のひよこには到底無理、わかりっこないと。なるほど80歳、90歳まで恋愛をし、酸いも甘いも受け止めてという境地にはほど遠く、せめてもう少し成長せよというもの・・・。

歴史を生き抜いてきた強く美しい作品に対して、自分から近づいて行こうという姿勢抜きには多くの人に聴いて貰えるだけの演奏に到達することは到底難しいでしょう。或いは作品を越えるほどの大きな才能を持った個性が作品と掛け算しあって生まれた演奏は聴く人を興奮に誘うものでしょう。

でも、たとえ初心者の方でも演奏を作っていく過程を丁寧に積み重ね、その過程を楽しみながら音楽の内容を知らず知らずのうちにも存分に体験し、手間隙をかけることをいとわずに曲に近づいて行こうという方の演奏は上手い下手などということを越えてどこか大人の演奏ならではの魅力が漂います。「残念ながら今の力ではここまでしか弾けないけど本当にいい曲なのですよ」という自分へのいたわりと、作品への敬意が聴こえて来る気がします。

大人のピアノ、いかがですか?

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2004年 2月23日


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