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32 危険な天ぷら

天ぷらぷらぷら、追い手に帆かけてしゅらしゅしゅしゅ・・っとそれは「金毘羅 船々〜」・・・。それにしても何故に「しゅらしゅしゅしゅ」なのでしょう。修羅しゅしゅしゅ、でしょうか? 主ら主主主、となるとこれは主イエスよ(しかも複数?)となってしまい十字を切られた金毘羅さんは困惑なさる・・かどうか。

と、例によって他愛のない・・というよりいきなり相当寒い話にお付き合いいただいてしまいましたが、素材に衣をつけてふっくらさせて見栄えもほどほどにというのはこの駄文エッセイの書き手の得意技。ところが、文章をふくらますのよりさらに難しいのが天ぷらを揚げること。衣をつけてもこれがなかなか思ったようにからりとはいかないものです。とんかつよりはずっと苦手な揚げ物料理です。

料理番組などでは衣は十分冷やして、とかなんとか色々言いますが、例えば有名どころなら「つな八」などの天ぷら屋さんでいただくようにからりと揚げるのはなかなか難しいものです。
天ぷら一筋ウン十年のプロの技を盗もうなどと恐れ多いことは申しませんが、上手に揚げたいと思うものの、考えてみれば天ぷらを揚げることへの哲学的考察も対象に向かって邁進するひたすらなる情熱にもやや欠けるものかもしれません。素材をくるむ大切な衣への慈しみも感謝も忘れていましたし、さらなることをしつこく言えば時に180度もの高温の油の中に無常にも放り込まれてアップアップしてる健気なナスビやさつまいも達への弔いの心も・・。

そんなこんなの天ぷらですが、食べる楽しみはさて置いて、揚げることには実は結構な肉体的負担がつきまとうものです。美味しさを得るには我が身の危険をかえりみず果敢に揚げ物料理に立ち向かうという料理人の絶対的な姿勢が必要なのです。何のことかといえば、油のはね。イカなんぞを揚げてる最中にばちんっとはねてくるあの油。しかも高温。へたをすると結構な量の熱い油をかぶる羽目になってしまうものです。

「いいわよそんな、夕飯の支度なんてほら、テキトーにちゃちゃちゃっとすませておけば。天ぷらなんてそのへんでちょっと美味しいの買ってきてあっためりゃいいじゃない。レンジでチン、とかしちゃって。」
おそらくは大正生まれである恩師からのありがたいお言葉です。言われた本人は主婦歴数年、包丁を持つことには当然注意を払うのですが、揚げ物の危うさには気がついていませんでした。そうなのです。手にやけどを負ってしまってはピアノが弾けなくなってしまいます。演奏は水の泡と消え、手にはかわりに水ぶくれ・・。

普通に天ぷらを揚げてるくらいで出来る小さな水ぶくれ程度なら当然弾きますが、予測される危険にはあらかじめ注意を払って、最悪も予想しつつ避けられるものは避けよと師匠はおっしゃりたかったのでしょう。演奏を大切にし、練習を重ねてきたことを大切にするならそのぐらいの注意はせねばということです。しかし予測するべきは果たして揚げ油の怖さだけでしょうか?

大切な演奏会前、練習時間を確保し緊張を抱え、時にいらぬあせりも感じながら身も心も音楽に向かい、包丁を持つときも頭の隅にはピアノを置いて怪我の無いよう注意を払い、かぼちゃをまな板に載せなんていうことは当然避ける。こうなると場合によっては誰かに言われるまでもなく天ぷらを揚げているどころではないのです。
まして天ぷらは料理の中でも難易度は高いもの。時に虫の居所が悪いとなんら罪のない家族の声にもこんな対応が・・。
「天ぷら食べたい・・・だとぉ?」
「だとぉ?」とは淑女の口から出てくる言葉ではありませんが、顔には明らかに「だとぉ?」とあぶり出しの如く浮かんでいるはず。やはり演奏会前に天ぷらは危険です。

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