稽古場のピアノ バレエピアニストの世界 WEBサイト
ご使用中のブラウザのJavaScriptをONの状態に設定してください。
稽古場のピアノ
ブログ稽古場エッセイピアノ教室リサイタルお役立ち情報

プロフィールリンクお問い合わせホーム

ホーム > 稽古場エッセイ > 過去の記事リスト > 過去の記事

稽古場エッセイ 過去の記事過去の記事リストへ戻る

20 愛しの楽譜

ないないないないっ!ちゃんと持っていたはずのラヴェルの連弾「マ・メール・ロア」の楽譜がない。前にちょっと弾いたのはいつだったっけ・・・。楽譜棚のこの辺にちゃんとあるはずなのに、ああ、これは神隠し?
こんどのクリスマスに小さなコンサートで演奏する予定のこの曲。そろそろ連弾のお相手とまず電話で打ち合わせをと思い、当然そこにあるはずの楽譜を捜すと、見つからないのです。かれこれ30分以上狭い家の中を家捜ししても結局姿を現わしてはくれないまま、やむなく捜索はいったん打ち切り。

新しい楽譜を買わなきゃならない・・?もちろん新しい譜を買うことは決してやぶさかではないのです。持っていたのと同じフランスのデュラン社の版で確か新しく改訂になった楽譜が日本の出版社から出ていたはず。それを新たに買い求めるのはそれはそれでいいのです。真新しい艶々の表紙、折り目をきゅっきゅとつけながら開くと書き込みも何もないさらりとした譜面。
でも、私にとっての大問題は長年持っていた楽譜を喪失してしまったこと。高校生の頃から大好きでドキドキして買い、手元に置いてはちょこちょこと弾いていたその楽譜。愛らしいこの組曲をそれほどちゃんと弾き込んだわけではないので大事な書き込みなどはそうないものの・・・。

1冊の楽譜への愛着というのは曲へのこだわりとも又ちょっと別物。練習時間を共に過ごし、使い込んだ譜面はあたかも住み慣れた街の駅前のたたずまいのよう。家の台所のように目をつぶってでもフライパンの場所も砂糖の場所も、どこに何があるのか知り尽くしているようなそんな一体感があるもの。そしてまた時に見慣れた風景と化した棚の中にも隅っこには切り干大根の袋やら2年前に漬けたラッキョウの味噌漬の瓶やら。改めて見直して新たな発見に出会ってはは新鮮でお得な気分(?)になったり・・。

技術的な問題をクリアし、音楽の内容をなんとか自分の言葉として放つまでに私は長い時間がかかります。迷いを重ねながら練習中気がついたことをその都度書きとめていく私の楽譜は曲によってはいつのまにか書き込みだらけ。おまけに先生のレッスンを受けていた頃の楽譜は先生自ら書かれた旧仮名遣いでの達筆もそこここに。
濃く柔らかな芯の鉛筆でしっかりと書き込まれたり、色鉛筆で色分けして書かれたり。最初は青で、そして同じ箇所にもう一度注意を受けた時は赤で。少し弾き込んだ後、さらなる最後通牒を受ける時は緑で・・と。
ベートーヴェンなどにもロマン派的な解釈を教えてくださった恩師の書き込みはそのまた恩師の教えそのまま「墓場の扉を開けて・・」など古めかしくも文学的な、私にとっては貴重この上ない先生直筆の書き込みがあるものなのです。心情的には門外不出とさえ感じられるものです。

仮にそんな楽譜を本番も近い時どこかに置き忘れようものなら、いえ、本番を終えて、いったん楽譜棚に収められたとしてもふと気がついた時にはそこに無いなど言語道断。これこそ覆水盆に返らず、パニックというものです。

そういった書き込みでいっぱいの楽譜の中身も宝物なら一冊の書籍として装丁に魅力を感じる楽譜、いわば外側のお洒落にもこれまたちょっとこだわりを抱いたりします。

輸入楽譜としては比較的お馴染みのサラベール社の楽譜。この楽譜の表紙の変遷は私にとってはちょっとしたショックです。知る限り古いものから4種類、色の違いも含めて5種類ほどでしょうか、例えば同じサラベール出版コルトーによる校訂のショパンの楽譜でも出版された時期によって装丁が違います。私の持ってる物では一番古い時期に出版されているざらっとした手触りを持ついかにもクラシク風の落ち着いた装丁から、一番最近のつるりとした感触で作曲者の顔の入った装丁(どこか無粋と感じてしまうけど・・)まで。

かつて何かの展覧会で偶然目にしたお馴染みのピアノ曲「乙女の祈り」の楽譜の表紙。それはそれは小粋な風情のその楽譜、そこに描かれた女性の姿は古き良き時代ベル・エポックの香りの漂う素敵な絵でした。
その頃「乙女の祈り」といえばあまりに有名なピアノ曲であり、私にとっては面白みの感じられない俗っぽい曲でしかありませんでした。ところが、その表紙に見られる女性の絵は確かに平凡なヨーロッパの街を行く娘ではあるのですが、そこから受けた印象はいつも耳にする曲の印象を変化させるに十分足るものでした。

さほど深い意味などないその絵なのかもしれませんが、曲の色調や背景に込められた時代感覚といったものを豊富に知らせてくれる情報に満ちていたように感じます。同時にそんな小品の楽譜にも見られるお洒落なこだわりは遊びや無駄こそが文化であるのよと誇らしげにいわんばかりという気さえします。

見た目も溢れんばかりに書かれた楽譜のおたまじゃくし達、きちんと製本され、その中身の音楽をも匂わせんばかりの装丁。そういった美しい1冊の楽譜が書棚に収められ、そしてまた表紙の紙の質感を手に感じながら譜面台の上に開いては音に立ち上げていく・・・大げさに過ぎるかもしれませんが、快感とすら言える贅を極める時間ではないでしょうか。

時代と共に楽譜のありようも変わり、職人的な本の製本技術や表紙のデザインのようなある種の無駄とも思える部分は次第に省かれていくのかもしれません。ひょっとすると展覧会でしかお目にかかれない過去の遺産と化してしまう可能性もなくはないのかもしれません。楽譜という世界の共通言語を知ることは今やコンピューターを介し、居ながらにして各国の人達と音楽の楽しみを共有することです。その技術や体制の変化に大いに期待しつつも、又一方で文化としてのトータルな楽譜の行く末にも思いを馳せずにはいられないものです。

それにしてもまる1日たった今も見つからない「マ・メール・ロア」の楽譜。どうにも諦めがつかないものです。やっぱり買ってきましょうか。ケチるものではないけれど、嗚呼気になる財布の中身・・・・。

ページトップへもどる


Copyright (C) 2001-2009 Hisari-Isoyama. All Rights Reserved.